どろろを見て数カ月ぶりに部屋を掃除した話

先日、今やっている(2/27現在)アニメ版のどろろを見て痛く感動してしまいました。

 

どろろは実写版の映画を見たことがあったかもしれない程度でアニメやるのも知らなかったのですが、Twitterでアニメの出来がいいと見聞きしてなんとなく見始めました。

 

あのときの名も知らぬアニオタ氏に深い感謝を :pray:

 

そんなどろろのあらすじとプライム・ビデオのリンクは以下。

 

時は戦国。 醍醐の国の主である景光は、ある寺のお堂で 十二体の鬼神像に領土の繁栄を願い出た。 それと引き換えに生まれた景光の世継ぎは身体のあちこちが欠けており、 忌み子としてそのまま川に流され、捨てられてしまう。時は流れ、鬼神は景光との約定を果たし、国には平安が訪れた。 そんなある日〝どろろ〟という幼い盗賊は、ある男に出会う。それは、鬼か人か──。両腕に刀を仕込む全身作り物の男〝百鬼丸〟は、その見えない瞳で襲い来る化け物を見据えていた。

出展:プライムビデオのあらすじ欄 

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今日はそんなどろろに感動して、いてもたってもいられず数カ月ぶりに部屋の掃除をした話をします。

 

全部おもしろいんだけど、特に5話と6話!守り子唄の巻・上と下!

 

ネタバレはしないよ。(しないはず)

 

戦国時代の話だから戦も起こるわけで、親をなくしても必死に協力しあって生きる子たちがいるわけですよ。

 

そこに理想やら現実やら、懸命に生きる人たちの美しさやら欲望の醜さやら、人の生き死にが絡んでくるんですね。

 

こういった重くて辛くて胸が痛くなって醜くて、でも美しいお話は久しく見ていなかったので(あえて避けていた)よりいっそう"くる"ものがありました。

 

なぜ故意に避けていたのかといえば、以下のブログでいうところの「トンネル」を通るのが苦手ということなんですよ。

 

www.jigowatt121.com

 

物語の溜めの部分が怖くて辛くて苦手です。

 

「最近のアニメオタクは弱くなった」「萌えアニメしか見ないオタクが増えた」「アツいアニメやシブイアニメの需要はなくなったのか?」と言われ始めて久しい昨今、こういったオタクが増えているのかもしれないな、とふと考えたりしました。

 

こんな感じの理由で避けていたのもあり、人の死が絡んでくるシーンは、その時の人生に与える影響は凄まじかったです。

 

ガードを固めていない無防備な感情に魔力でエンチャントされた鋭いナイフの一突きを食らったが如く。

 

そうしてアニメを見終わってしばらく放心していました。

 

「なんで・・・まじか・・・まじか・・・」みたいな。

 

10分ほど放心した後に、ネットの海に同じくどろろを見た人たちの感想を見に行きました。

 

その中で見た海外の方のコメントが印象に残っています。

 

たしか「なぜ生きる資格のあるやさしい子が死んで、生きる価値のない大人が生き残るんだ・・・」的な。

 

まさにそうなんですよね。いつも見ている日常アニメではありえない。つらい。こんなことが許されていいのか。

 

でも、彼ら彼女らはあの世で畑を耕して実りを得て幸せに暮らしてるはず。

 

葛藤ですわ。

 

ただ、そこで思ったのが、必死に、懸命に、生きようとしても時代に殺される子たちもいるんだから、せめて自分は幸せにまっとうに楽しく人生を歩もう。そうじゃないとあの子達に顔向け出来ないよ。ってことなんです。

 

そう考え始めたら、いてもたってもいられず、自分に何ができるか考えて、本格的な部屋の掃除をはじめました。あのめんどくさがりの僕が。

 

模様替えまでやりました。

 

とても快適になりました。

 

 

もしかしたら、普段からシリアスな作品を見てる人からすればこんなシーンでそこまで感動はしねーよと言われていまうかもしれませんし、日常系アニメばかり見ていたせいで突き刺さりすぎただけかもしれません。

 

人の感情って相対的??

 

なにはともあれ、結果的に掃除をしてしまうくらい感情が動いたのは事実です。

 

感動のロジックはどうあれ、感動出来たので、久々にシリアスな作品みてよかったなと思いました。

 

そいったこともあり、アニメを見る姿勢を正そうかなと。

これからは気を引き締めて食わず嫌いはせず、改めて真摯にアニメに向き合っていこうと思った次第でございました。

 

おわり。